なぜか堅い文章に

「ジーキル博士とハイド氏」という物語を読んだ。

よく二重人格の人などの例えで「ジギルとハイド」という言葉が出てくるけれども、内容を良く分かってないまま使っていた。

私はジーキル博士のように完璧主義者でもないし(場合によってはとてもこだわる事柄はあるけれども)、プライドもそう高くはないので(場合によっては見栄も張るけれども)、悪性の塊であるハイドの様な人物を作る必要はない。(この物語では、ジーキル博士の人格が二つに分かれているのではなく、研究によって発明された薬によって博士の見た目もハイドという人格に沿ったものに変わるのである。つまり、二つの人格を作り出したのは彼自身であり、これによって、ジーキル博士は完全に自分から悪性を切り離すことが出来ると信じていた。)

私は人に好かれたいと常に思ってはいるけれども、悪い部分も全部見せるから、私の全部を愛してね、という身勝手な人間だ。

そして煩悩だらけの自分になんの恥じらいも、言い訳もない。

だけどそれはただ単に私の善と悪がそんなに両極端ではないからかもしれない。

きっとそんなに素晴らしい事もしていなければ、そんなに悪いこともしてないのだろう。

自分という人格に対する理想もそう高くはないのだろう。

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